海上丝绸之路:陶瓷之路(景德镇陶瓷与“一带一路”战略国际学术研讨会会议论文集)
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中国陶磁の伝播と融合

島田文雄东京艺术大学教授。

世界中で盛んに開かれている国際陶芸展など、今は国際交流が盛んな時代です。各国の民族性というのは現代陶芸にとっては薄れてきて、各人の個性によるところが大きくなってきました。しかし過去を振り返り、大きな時代のくくりで眺めるとそれぞれの特色のある地域性を見ることができます。今回は中国陶磁がどのように各国に影響を与え、変化し融合していったのか、陶芸の変遷と融合を見つめてみましょう。

日本の茶道具

日本の茶道は中国文化が日本に伝播して始まりました。13世紀に中国茶、宋時代の抹茶を飲むこととその礼儀が日本に伝わりました。その当時の将軍、武将、僧侶たちの間に広まって抹茶茶道が盛んになって行きました。

これは現代の茶道である裏千家の協力のもと東京藝術大学茶道部、工芸科教員の協力で精華大学教員と東京藝術大学教員の国際工芸展を開催しました。その一環として東京藝術大学教員と清華大学教員作品の出品者を交えた日本風の茶会を東京国立博物館の中にある茶室で開催しました。

日本の茶道は輸入された高価な中国の高僧、士大夫などによって描かれた掛け軸や山水画、品質の高い中国陶磁器を使用した唐物茶道が将軍や貴族、武将の間でひろまりました。現在の日本の国宝に指定されている龍泉窯青磁や建窯の天目茶碗などは唐物茶会に使用された物であります。非常に高価な書画、例えば徽宗皇帝の書画、高価な工芸品など収集し、茶会を開く主人の権勢を誇示する場として茶会が利用されました。様々な名品を収集することによって、文化的高さ、教養の高さ、経済力の誇示のために使用された茶会が200年位続きました。この曜変天目茶碗は17世紀に江戸幕府を築いた徳川家康が所蔵していたもので、日本の国宝に指定されております。「新田肩衝」「にったかたつき」 と言われている唐物茶入れは、桃山時代を築いた豊臣秀吉が5億円で購入したと言われております。茶入れもその後、数人の将軍家の所蔵となっております。

16世紀ころ、そのような中国文化を象徴する山水画や、掛け軸などの高名な書画、名品の陶磁器など用いた唐物茶会に対して、千利休は、備前焼や信楽焼等のごく普通の工芸品を茶会に取り入れ、豪華絢爛たる唐物茶会に対して、日本独特の茶道の理念である侘び 寂びの理念を取り入れた茶会が広まりました。この侘び、寂びの茶会は戦国武将に広まって中国陶磁の完成された高価な陶磁器よりも侘び?寂の雰囲気が漂う、東南アジアの陶磁器が戦国武将に好まれて使用されました。

ルソン壺(フィリッピン)

15C の日本の茶人たちは宋胡録(タイ)安南陶器(ベトナム)を好んで使用した中国陶磁の影響を受けたタイ 宋胡録の茶碗中国陶磁は東南アジアの国々に伝わり、模倣されて制作されるが、大らかな、粗雑なデザインに変化して行って、独特な文様に変化して行きます。

東南アジアの陶磁器はインドやイスラムの影響を受け、中国、インド、イスラム美術が融合した自国のスタイルに変化して行きます。

中国の文様が自国風に変化した陶磁器染付·青花

15c中国の青花磁は高度な絵画性と力強い筆跡に満ち溢れております。その技術が、日本、東南アジアそして西洋まで伝播していきます。それぞれの国はその特徴を捉え自らの文化に融合させてきました。

東南アジアの青化磁は周辺諸国インド文化、イスラム文化などの影響を取り込み、変化し融合して行きました。日本では日本的な“間”をとるデザインに変化して行きます。西洋に渡った青花磁はキリスト文化やギリシャ文化を反映した青花磁に変化していきます。

16世紀の景徳鎮 青花龍文大皿

日本に伝わったベトナム青花龍文大皿

17世紀 日本 有田 染付龍文皿

牡丹の絵付けに注目してみましょう14c青花牡丹紋壺 景徳鎮 均整のとれた図案

15C ベトナム 青花牡丹紋壺、リズムなど意識したデザインであるが、腰の連弁など簡単に描かれている。

16c日本 有田 染付牡丹紋壺 日本の図案は空白を用いた意匠に変化している。

藍絵花枝皿 オランダ デルフト1690年中国の花紋はヨーロッパに渡ると連続性がなくなってそれぞれが一つの意匠として独立した連続模様に変化する。

藍絵花枝花瓶 オランダ デルフト1690年

中国文様が日本の柿右衛門風のデザインに変化し、またそこからオランダ? デルフトのデザインに変化した。

藍絵山水人物文壺 オランダ デルフト1670年—1680年

中国山水風の風景画であるが題材はヨーロッパの中国趣味の画題である。

色絵神話図壺 オランダ デルフト

中国の人物の入った壺が基であるが題材はギリシャ神話を題材に描いており完全にヨーロッパの染付となる。

17C後半

藍絵風景図皿 オランダ? デルフト1650年

中国山水画が基になっているがヨーロッパの風景が描かれており、回りの文様もヨーロッパの文様に変化しており、ヨーロッパの染付が確立される。

14c青花魚文大皿 景徳鎮

中国元時代の魚文大皿の文様は大変伸びやかな流麗な筆遣いで描かれており優れた染付の技術とデザイン力が融合された作品である。

15c ベトナム 青花魚文大皿

中国の魚の文様が15世紀に描かれたものであるが、力強さと写実性を重んじた表現が、縁の文様などは流れるようなリズム感が消え、単体の文様が描かれている。

17c日本 有田 染付魚文皿

中国の魚文が日本化されている、中国的面影は消えているが、皿の裏面の唐草文様は中国の文様が踏襲されている。

17C イギリス 青花瓶

染付がイギリスで生産されるようになると、ペンで描いたような線に変化する。丁寧に、細密に丹念に描かれる。

藍絵狩猟図17C—18C

フランス ファイアンス製の大皿で連続模様の縁飾りが描かれ、中央は、ヨーロッパの狩猟風景が丁寧に描かれ、一目でヨーロッパ製と判るほどヨーロッパ様式が出来上がっている。

中国 日本 タイ 西洋における現代染付

現代中国の青花

タイ 現代青花磁

イギリス 現代青花皿

日本 現代 染付壺

結び

日本は中国文化へのあこがれが日本文化の源にあります。中国宋時代に日本に伝播し、中国文化の高さを表す書画、工芸品を手に入れることによって、茶道は政治にも利用されましたが、日本の文化の向上におおいに貢献しました。また東南アジアの陶磁器は日本の茶人の気風、侘び寂びに共感を持って受け入れられました。中国陶磁は周辺諸国に大きな影響を与え、韓国高麗青磁、日本瀬戸焼、有田焼などに影響を与えました。東南アジア、ベトナム、タイ、フィリピンなども同様の影響を受けました。中国陶磁器の完成度の高さに対して、周辺諸国の陶磁器はその精神性や技術力の高さについていけない事、中国陶磁器の様式は踏襲しているが、その製作に対する技術力はそこまでの高さを求めることを断念し、周辺諸国の文化に適応させた陶磁器表現に変化します。また中国陶磁はヨーロッパに伝播し、マイセン陶磁、ウエッジウッドなどの英国磁器、フランスセーブル磁器などの生み出す源となりました。そのデザインは中国陶磁や日本陶磁のあこがれがあり、様式は真似しているが、そこに描かれている内容は西洋文化の表現に変化します。これは表現技法による精神構造、宗教や社会構造が影響を与えている私は考えます。アジアの書画における筆画、西洋のペンを使用したペン画、エッチングなど表現が大きく変化します。筆による水墨画、即興性、ペンによる細密表現、エッチングなどが大きく東洋と西洋の表現思考を分けている一つの要因と考えられます。